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ジョーは「ヤンキー・クリッパー」の愛称で、当時のベースボール・ファンの間で非常に人気の高いスーパースターだった。ニューヨーク・ヤンキースで、56試合連続安打という記録を作ったアメリカ大リーグの歴史に残る名選手で、この記録は現在も破られていない。 1951年に引退し、翌年にマリリンと始めて出合った。 この時のことをマリリンは 「今まで見た事も無いほど背の大きい人と話をした」 と日記に記してる。 彼女は、ベースボール界でベーブ・ルースと並ぶほどの、大スターの事を知らなかったのだ。 ジョーは、それまでの人生の殆どをベースボールに捧げた男だった。ユニフォームを脱いだ彼には 、テレビ鑑賞とギャンブル、そして大好物のスパゲティーが全てで、芸術や文学には全く関心が無かった。 一方のマリリンも、決して家庭的な女性とはいえなかった。 部屋の電気は点けっぱなし、歯磨き粉のチューブのフタすらしない、部屋の床に脱ぎっぱなしの服、ジョーはそんなだらしない彼女を叱るが、女優として生きてきた彼女にとって、そんな小さな事はどうでもいいことであった。 逆に、そんな小さな事でガミガミ怒る夫を彼女は理解できなかった。 結婚 しても、夫のジョーは大リーグの英雄で、マリリンは女優だった。お互いのスターとしてのプライドとキャリアがお互いの心を通わせる邪魔をした。離婚直前、ジョーは「俺はミスター・マリリンじゃない!」と不満を爆発させたとゆう。 1954年10月27日、2人は離婚した。結婚生活はわずか9ヶ月で終わった。
マリリンは、自分が世間からどう見られ、どう思われているかをよく知っていた。だからこそ、その期待に応えたことによって、ハリウッドの人気女優になることが出来たのだ。 彼女は、夫のジョーがこれを理解し、自分を支えて欲しいと思ったに違いない。 マリリンは、ジョーに置物をプレゼントしたとき、その裏にサンテグジュペリの小説「星の王子様」から引用したあるメッセージを刻み、彼女のそんな思いを彼に伝えようとした。 <あなたの心だけが真実を見るのであって、目に見えるものは大切な事では有りません。> これを見たジョーは、マリリンに言った。 「この訳の分からん言葉は一体なんだね?」
1954年2月1日、 マリリンは新婚旅行で来日した。彼女が日本に来たのはこれが最初で最後だった。 世紀のスーパースターの来日に日本中が沸き立った。一目見ようと集まった大観衆が2人を熱烈に歓迎した。 その後、滞在先のホテルで行われた記者会見である騒動が起こる。 ジョー・ディマジオにとって、この記者会見は屈辱以外の何者でもなかった。なぜなら、彼はアメリカを代表する大スターで、一方のマリリンは自分の単なる妻であるはずなのに、当時の日本でも人気の高かったマリリンに記者の質問が集中し、自分が全く無視されていたのだ。プライドを傷つけられたジョー・ディマジオは激怒し、マイクのコードを引き抜きそれを投げ捨て、会見場から出て行ってしまったのだ。 この時の会見に居合わせた映画評論家の淀川長治さんは、著書の中で 「彼女は、ぼく達にごめんなさい、ディマジオにすいませんって 両方の顔をしてた。胸に手を当てて、泣きそうな顔だった。 彼女がかわいそうで、いまだに忘れられない。 この娘は悪い人間じゃないって思った。 気の小さいかわいそうな娘なんだ。」 と当時の様子について語っている。 マリリンはハリウットのセックスシンボルとして映画の中で男たちを誘惑し魅了していた。しかしその素顔は優しく弱々しい純心無垢な女性だった。
ジョーは女優マリリン・モンローを愛せなかったが、純心無垢でガラス細工のようなノーマ・ジーンを愛しく思い、そして守ろうとしたに違いない。 彼女が女優の仕事を終えて家に帰った時、ノーマ・ジーンに戻れたなら、ジョーの愛情を十分に感じ、そして癒された事だろう。なぜなら、ノーマ・ジーンは生まれて以来ずっと、誰かに愛される事を心から望んでいたのだから。 しかし、彼女はいつも女優マリリン・モンローだった。ジョーは女優マリリン・モンローが望むような、知性と教養は持ち合わせていなかった。誰よりも彼女に愛を与えても、既に大衆の愛を手に入れた女優には届かなかった。 マリリンは自分がノーマ・ジーンである事を、不幸で孤独だった過去を、マリリン・モンローとゆう華やかな仮面で覆い隠し、いかなる時もその仮面をはずそうとはしなかった。そして何事もその仮面を通して見て、聞いて、感じる事しか出来なかった。 彼女の中の本質を知っていた ジョーは、マリリンの仮面の下のノーマジーンをその後も愛し、支え続けた。 アーサー・ミラーとの離婚、幻の父の面影を重ねていたクラーク・ゲーブルの死などで、精神的に参ってしまったマリリンは、精神病院に入院して治療を受けなくてはいけないほど深刻な状況だった。 1961年3月5日、3ヶ月の入院治療を終えた後、退院した孤独な彼女を迎えたのは、ジョー・ディマジオだった。その後、マリリンはジョーと暮らす。 精神と共に、肉体もボロボロの状態だったマリリンは、この年に慢性子宮内膜症治療の手術と胆嚢炎の手術をしている。 6月に胆嚢炎の手術の為入院した際は、ジョーが付き添ったとゆう。 そして、2人は1961年の大晦日を共に過し、新年を一緒に迎えた。
1962年8月5日、ロサンゼルスの自宅で死亡したマリリン・モンローの訃報はAP電で世界に配信された。 かつての夫だったジョー・ディマジオは、すぐさま飛行機でロサンゼルスヘ飛んだ。そして彼は身寄りの無い彼女の遺体を 引き取り、葬儀の喪主になった。 告別式の手配を終えた彼は、翌朝まで棺から離れなかったとゆう。 その後とり行われた葬儀で、ジョー・ディマジオはマリリンの棺の横にひざまずくと、彼女にキスをしながら何度も「アイ・ラブ・ユー」と語りかけ、人目もはばからず声を出して号泣した。 葬儀の時のジョーの悲痛な表情、そして彼女の棺の横で泣き崩れる姿は世間を驚かせた。なぜならジョーは、大衆の夢や憧れを裏切らないように、プライベートは殆ど明かさず、マリリンとの結婚生活も一切語らなかったし、彼はスーパースターとしていつも威厳ある態度で人々の前に現れていた男だったからだ。 そして棺の扉が閉まる時、ジョーはマリリンの両手にピンクのバラの花束を置いた。 彼はこの日から20年間、同じバラの花を毎週彼女の墓所に送り続けた。しかしこのことを彼自身が語ることはなかったとゆう。 警察が自殺したマリリンの部屋を検証したが、遺書らしきものは発見されなかった。だが、その代わりに彼女のアドレス帳の間から、未完成のラブレターが見つかった。それは、ジョー・ディマジオ宛のものだった。 彼女は死の直前、新居を購入していた。また、再婚に向けてウエディングドレスをオーダーしていたとゆう。 再婚相手は結局明らかにされなかったが、このことからジョーがその相手だと見られている。 ジョー・ディマジオも1999年3月8日、肺がんのため、フロリダ州の自宅で死去した。84歳だった。
青春を野球に捧げた不器用な男と、生まれた時から愛を知らず、そしていつも愛に憧れた女。お互いが求め合っているのに、愛し方も愛され方も知らない2人は、それぞれの愛情が確かめられないまま別れてしまった。 ジョーは自分自身の手で女優マリリン・モンローを幸せにする事は出来なかったが、心から彼女を愛していたし、その幸せを望んでいたに違いない。 だからマリリンと離婚した彼は、その後は彼女の事について一切語ろうとしなかった。そして生涯独身でいる事でその静かな愛を貫いたのだった。 この世では、すれ違ってしまった二人だが、せめて天国で再会し互いの愛を確かめ合える事を願ってやまない。 |
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