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DATE : 2001年6月20日


EPISODE
○ 第2次世界大戦での出来事
○ 第35代アメリカ合衆国大統領
○ ビックス湾事件〜CIAとの確執
○ キューバ危機〜苦悩と決断
○ ダラスの悲劇〜大統領暗殺

REFERENCE
○ ケネディー関連の映画とフィギュア紹介

■■■ EPISODE ■■■

○ キューバ危機〜苦悩と決断

1962年10月16日、1枚の写真にホワイトハウスは震撼した。アメリカ軍偵察機が、本土からわずか140Kmしか離れていないキューバに射程距離2100Km、広島型原爆の60倍規模の準中距離弾道ミサイル基地を確認したのだ。

キューバへの即時侵攻を強く迫る軍部と外交による平和的解決を模索したいケネディーは対立し苦悩した。
もしこのミサイルが発射されれば、ソ連との核戦争は避けられない。そして第3次世界大戦へ・・・最悪のシナリオが脳裏をよぎる。キューバへの 即時侵攻、空爆、海上封鎖、外交交渉・・・様々な対応策が検討された。

ジョン・F・ケネディ大統領45歳、弟ロバート・F・ケネディ司法長官36歳、そして大統領特別補佐官ケネス・オドネル38歳。アメリカ建国以来最も若い閣僚だった彼らが、世界を核戦争寸前にまで追いつめた「キューバ危機」に立ち向った。

■ 悪夢のはじまり  


キューバ危機は決して突発的に起こった事件ではない。
その背景にはアメリカとソ連を中心として世界を二極化していた東西の冷戦構造が深く関わっている。

ベルリン危機 〜 東西冷戦>
 

第二次世界大戦後、べルリンは東西に分断され東ベルリンをソ連が、そして西ベルリンはアメリカをはじめとする連合国が統治した。1949年、ソ連は東西ベルリンを結ぶ交通路を封鎖(ベルリン封鎖)し、アメリカはこれに対して西ベルリンに物資を輸送して西ベルリンが孤立する事を防ぐ為の支援を行った。
やがて1961年に「ベルリンの壁」の建設がはじまる。

東側の兵力約7万人、もし有事になれば大規模な戦争になることは避けられない。米軍高官も「ソ連と東ドイツがベルリンを封鎖した場合、外交交渉による事態解決の可能性は小さい」と語り、武力衝突の可能性を示唆した。
ケネディー大統領も「西ベルリンは、絶対にソ連には渡さない」、「ソ連のベルリン侵攻を阻止する為、アメリカが核兵器を使用する事は有効な手段である」 と語り、アメリカの威信をかけてソ連の侵攻を断固阻止し、最悪の場合は核兵器の使用も辞さないとの決意を示した。

この東西ベルリンの対立はソ連とアメリカを代表とした社会主義と資本主義の対立として、トルコへのミサイル配備や朝鮮半島の38度線をめぐる睨み合いとともに両者の関係を一触即発の緊張状態へと発展させた。

  <キューバ革命>
 

1959年、キューバではカストロが農地改革を訴えて民衆を動かしキューバ革命が起こった。
この革命によりバチスタ政権は崩壊し社会主義の新政権が樹立した。革命後のキューバではアメリカ系企業が次々に国有化された。

隣国に成立した社会主義政権に危機感を抱くアメリカは、国交を断絶して新政権の転覆を図る。しかし、ソ連がキューバ支援を行いアメリカの計画は失敗する。
CIAは反カストロの亡命キューバ人に軍事訓練を施して部隊を組織しカストロ政権失脚を狙う(ビックス湾事件)が、これも失敗に終わる。
これらの相次ぐ作戦失敗は、カストロの警戒を強めるとともにキューバとソ連の関係をより強固にし、経済面だけでなく軍事面での協力関係を築く絶好の機会を与えるとゆう最悪の結果を招いた。

1962年5月29日、ソ連はアメリカのキューバ侵攻を阻止するには核兵器が有効であるとカストロに進言し、キューバにアメリカ東部を射程範囲とする核配備を提案する為に秘密裏に特使を派遣した。

  <アナディル作戦>
 

カストロに対して核配備を提案する以前に、既にソ連ではキューバへの核輸送を行う為の作戦が進行していた。
表向きは北極海での演習を行うとされ、作戦名の”アナディル”はシベリアの地名からとられたカバーネームだった。
1962年5月18日に着手された作戦計画は5月24日に共産党中央委員会幹部会に計画書が提出され、この史上最大規模の兵器輸送計画が本格的に動き出した。
1962年8月、ムルマンスクを出向した砕氷船インディギルカ号は途中で秘密基地に立ち寄り核弾頭を積み込んだ後、偽装航行や度重なる進路変更を行いながらキューバを目指した。
そして1962年10月2日、インディギルカ号はハバナに到着しついにキューバにソ連の核弾頭が持ち込まれた。
核弾頭は中距離弾道ミサイルR12、R14と戦術ミサイル”ルナ”用のものであった。
中距離弾道ミサイルR12とR14は射程距離2,100kmで、アメリカ東部の主要都市全てに着弾可能だった。また、戦術ミサイル”ルナ”は射程距離90kmで、主に接近する艦隊や前線基地破壊の為の用いられる。

  <Oプラン>
 

ビックス湾での敗北後の1961年6月、国防長官マクナマラは統合参謀本部と共同で、キューバのカストロ政権に異変、変調が現れた際に、アメリカが軍事的にどう対応するか研究を開始し、”0プラン”と呼ばれる作戦計画を立案した。
”Oプラン” は、キューバ国内で反カストロ勢力が蜂起した場合、カストロ政権で内部分裂が生じた場合、カストロ自身に異常が発生した場合、などのケースを想定し、これらの事態に対して軍事的に迅速に対応する方法がまとめられた。
国防省はその後、カリブ海で大規模な軍事演習を行いカストロ政権を威嚇した。

  <マングース作戦>
 

1961年10月、ケネディー大統領はキューバのカストロ政権転覆の為の秘密作戦の検討を指示し、これを受けて同年11月、「キューバ共産党政権転覆計画」が提起された。この計画は作戦名”マングース”と名付けられた。
計画を指揮したのは東南アジアでの対ゲリラ作戦で実績のあるランズデール大佐で、准将に昇格後作戦実行指揮官に任命された。
作戦はキューバ国民に対して、「キューバがアメリカと共存できる政府になる為ならば、全面的に支援する」事を、宣伝ビラやラジオ放送で告知する心理作戦を始め、亡命キューバ人の工作員を送り込みキューバ国内でのレジスタンス組織の編成や破壊活動の準備を開始した。
1962年初頭からキューバ国内における破壊活動が本格化し、鉄道やキューバ主産物であるサトウキビを加工する製糖工場などの国の重要施設はもちろん、映画館や市場などの市民生活の場にまで及び、キューバ政府の発表では1962年8月までに6000件以上の破壊活動と一般市民に数百人の死者が出たといわれている。

この作戦の最重要事項がカストロの暗殺であった。
CIAはマフィアを雇い、毒殺、爆殺などの方法を検討したが、結局実現される事は無かった。

ランズデールは、Oプランによる軍事行動を視野に入れ、マングース作戦による心理作戦や破壊活動は、アメリカ軍のキューバへの直接的武力介入のキッカケを作るものと考え、作戦の最終段階でのOプランとの連動を模索した。

  <9月評価>
 

ソ連のアナディル作戦が秘密裏に進行する一方、アメリカはキューバに核が持ち込まれた事を知らずにいた。
CIAは1962年8月、ハバナに入港するソ連船が急増したことに疑問を抱き偵察機を飛ばした。その結果、甲板上に木枠で梱包された巨大な荷物を確認し、写真解析により大型兵器の可能性が高い事がわかった。
8月23日の国家安全保障会議でマコーンCIA長官により初めてこの事実が報告されたが、信憑性に疑問があり重要視されなかった。
既にキューバにソ連の兵器が運び込まれている事はアメリカ軍部も把握していた。
また、 キューバ、ソ連もこの事実を認めており、アメリカに対して両政府は防衛上の武器配備だと主張していたのだ。
アメリカ政府がマコーンの情報を信じてキューバの戦略・戦術兵器の存在を表明しもしもこれが誤りだった場合、米ソ関係は今にも増して険悪な状態となり、もはや外交交渉での歩み寄りは完全に不可能となる。しかし、もし事実ならばアメリカ本土が直接ミサイルで狙われる危機を黙って見過ごす事になってしまう。
一方、アメリカ議会でもキューバによるアメリカ本土攻撃を危惧する意見が次第に大きくなり、ケネディー政権の対キューバ政策を非難する決議案が上下両院合同決議で採択される事態となった。

キューバに対する対抗措置を迫るCIA、戦略兵器の存在を頑なに否定するソ連とキューバ、議会や世論から噴出すミサイル疑惑に対する不安・・・・。ケネディーは決断を迫られた。

そして1962年9月13日、「9月評価」と呼ばれる大統領声明が発表された。
この声明では、キューバの武力強化は全てアメリカの監視下にありこの後も偵察監視活動は継続される事、キューバの軍事強化策はカストロが権力を誇示する為のものでアメリカにとっての脅威とはならない事、などを表明した。

この声明によりキューバに戦略兵器はないとゆうアメリカ政府の見解が示され、その後の対キューバ政策もこの見解を前提に進む事となった。
つまり、Oプランとマングース作戦は継続され、キューバが核兵器を手に入れた事を知らないまま侵攻計画が進行した。もしも侵攻作戦が決行されれば核戦争になることは間違いなかった。

1962年10月1日、国防省と統合参謀本部により10月20日までにキューバ侵攻準備を完了する事が確認され、すぐにカリブ海での大規模演習が開始された。
この演習での敵のコードネームは”ORTSAC”。カストロ (CASTRO) の名を逆にしたものだった。

カストロをはじめ、キューバ人の多くがアメリカの侵攻が目前に迫っている事を実感した。

  <ケネディーとフルシチョフ>
 

ケネディーはソ連のフルシチョフ首相がキューバに核を持ち込むことはないと考えていた。フルシチョフは公約としてキューバへの戦略兵器を持ち込まないと約束していたし、彼の性格から考えてアメリカを露骨に挑発するような行為はしないと思っていたのだ。
一方のフルシチョフは自分の息子ほどの年のケネディーの政治手腕に不安を持っていた。フルシチョフはケネディーが両国にとっていかに理想的な政策を提示しても、軍部や中央政府の反発にあえば対抗できない弱い大統領と考えていた。
よって、アメリカ軍部が推進するキューバ侵攻は確実であり、近い時期に実行されると確信していた。
また、フルシチョフはソ連本土を射程範囲とするアメリカのミサイルがトルコに配備されているため、核配備の均衡を図る意味でもキューバへの核ミサイル配備は重要な事だった。


■ キューバ危機 ページのトップに戻る


「9月評価」によりキューバのミサイル配備を否定したが、その後も軍部の強攻論や世間の不安を払拭するだけの確たる証拠が無いままケネディーの苦悩は続いていた。
10月9日、ケネディーはキューバ上空からミサイルの有無を確認する為の偵察飛行を指示し、10月14日にU2偵察機が飛び立った。
約10分間に及ぶ空撮を終えて帰還した偵察機から約8,000枚の写真が分析にまわされた。
CIAの分析の結果、ケネディーが最も恐れていた事態が明らかとなった。

写真にはソ連で以前に確認されたものと同種のミサイル基地が2箇所とミサイル運搬用のトレーラー、ミサイル発射台などが確認されたのだ。

不在だったマコーン長官に代わり報告を受けたクラインCIA副長官は専門家を集めて再度徹底した分析を行うように指示し、15日の夕方ホワイトハウスに事実を伝えた。
連絡を受けたバンディー大統領特別補佐官は中間選挙の遊説で疲労しているケネディーを気遣い、大統領への報告を翌日まで待った。

1日目 (10月16日)

1962年10月16日 AM8:45、バンディーはケネディーの寝室に入り前日受けたCIAからの報告を伝えた。
この瞬間から13日間、延べ288時間に及ぶ悪夢が始まった。ケネディーは直ちに緊急会議の準備を命令した。

AM11:50、政府高官や軍幹部が召集されExCOM (国家安全保障会議緊急執行委員会) が開かれた。

主要メンバーは、
大統領 ジョン・F・ケネディー
副大統領 リンドン・ジョンソン
大統領特別補佐官 クリス・オドネル
大統領特別補佐官 マクジョージ・バンディー
大統領特別顧問 セオドア・ソレンソン
司法長官 ロバート・F・ケネディー
CIA長官 ジョーン・マコーン
統合参謀本部長 マックスウェル・テイラー
国務次官 ジョージ・ポール
国務次官補 ポール・ニッツ
国務次官代理 アレクシス・ジョンソン
国防長官 ロバート・マクナマラ
国防副長官 ロズウェル・ギルパトリック
国務長官 ディーン・ラスク
財務長官 ダグラス・ディロン
国務省顧問 リュウェリン・トンプソン

45歳のジョン・F・ケネディ大統領以下、平均年齢50.1歳とゆうアメリカ建国以来最も若い政権にアメリカおよび世界の将来が託された。
会議は冒頭からキューバへの先制攻撃が主流を占めた。軍部はミサイルが発射可能になる前に基地を破壊し、反撃を阻止する為に飛行場や武器倉庫等も対象に空爆を行う事を訴えた。
会議は攻撃を前提として進められ、議論の中心は攻撃開始のタイミングと理由付けに絞られた。

このときの心境についてケネディーの弟で司法長官だったロバートは、
「日本が真珠湾攻撃を決断した時の東条首相の気持ちが良くわかる」
と記したメモを残している。
アメリカにとって真珠湾攻撃のような奇襲攻撃は最も卑怯な行為とされてきた。
しかし、今回のキューバの脅威に対して最も有効な攻撃手段が奇襲による空爆しかないと判断するに至ったことからも、ロバートが残したこの言葉は当時のアメリカの動揺と恐怖を物語る象徴的なものである。
2日目 (10月17日)

ケネディーはマスコミにアメリカに迫る危機を嗅ぎ付けられないように、予定どうりスケジュールを消化する事に勤めた。この日ケネディーは中間選挙の遊説の為コネチカット州に向かった。ExCOMは大統領欠席のまま開かれた。

依然として空爆を推進する意見がある一方で国防省は、「空爆だけで致命的な打撃を加えることは不可能であり、作戦には地上軍の投入などの侵攻が不可欠である。」 との見解を示し、この最悪の事態を避ける為に海上封鎖を行うべきだと主張した。

また、ケネディー宛に国連大使からの書簡が届き「トルコに配備されたアメリカのミサイルがある限り、ソ連がキューバにミサイルを配置することは当然の権利である。武力均衡を図ることで外交交渉の余地がある。」と記されていた。

ロバートは、「兄を60年代の東条にしてはならない。これでは真珠湾攻撃の裏返しだ。」と語り、空爆に傾きつつあった会議の結論をけん制した。

こうして アメリカが進むべき道は、空爆、海上封鎖、外交交渉に絞られた。
3日目 (10月18日)

この日ケネディーは、アメリカに滞在していたソ連のグロムイコ外相の訪問を受け会談を行っている。
ケネディーはミサイル配備の事実を知った事を、一方のグロムイコもキューバで進行中のミサイル基地建設を、互いに相手に悟られないように努め会談ではキューバ問題に関するアメリカの態度への非難とソ連のキューバへの武器援助に対する抗議など、従来と変わらぬお手本通りの内容に終始した。

ケネディーはこの会見後、外交手腕に定評のあったロバート・ラベェットとも会談を行った。
ラベットは空爆よりも徹底した海上封鎖の方が得策であるとケネディーにアドバイスしたといわれる。

ExCOMは空爆望むタカ派と海上封鎖を主張するハト派に分かれ対立し、それぞれのグループが独自の作戦の検討を開始していた。
4日目 (10月19日)

ケネディーは予定どうり全米を飛び回り遊説を続けていた。
遊説出発前、タカ派メンバーの国防省幹部は「キューバのこの問題に対して行動を起こさなければ、ソ連はベルリンへの侵攻も強行するだろう。」 と、ケネディーに空爆決断を迫った。
5日目 (10月20日)

ケネディーは、風邪を理由に遊説の予定をキャンセルしホワイトハウスに戻った。
ExCOMでは統合参謀本部のシュミレーションによって空爆が予定通り進んでもキューバのミサイルの90%しか破壊できず、この結果残された10%のミサイルがアメリカに向けて発射されるだろう、との意見がテイラー本部長から報告された。

ケネディーは、ラベットからのアドバイスやラスク、マクナラマ、ジョンソンが海上封鎖に賛成した事などを考慮し、直接的な武力行使は行わずアメリカの意志の強さを示す方法として海上封鎖を行う事を決断した。
6日目 (10月21日)

海上封鎖を発表する為の原稿が作られた。
ソ連とキューバを必要以上に刺激しない事とアメリカ国民に不安を与えないように表現に注意が払われ、最終的に「臨検」とゆう表現を用いる事が決まった。
7日目 (10月22日)

PM7:00、ケネディーは緊急テレビ演説により、
「キューバへの海上輸送に対して臨検を実施する。」
キューバ封鎖を世界に向けて発表した。17分間のこのテレビ演説により世界は核戦争の悪夢が現実となる瞬間を想像し凍りついた。

この演説をクレムリンのフルシチョフは緊急召集した幹部会の席で聞いていた。
幹部会に出席したメンバーは皆、固唾を飲んで放送に耳を傾けた。演説の中に軍事行動を示唆する表現が無かった事で一同はひとまず安心したとゆう。フルシチョフも海上封鎖で済んだ事に安堵した。

しかし、ソ連が秘密裏に進めていた輸送作戦をアメリカが察知した事で両者が水面下で行ってきた対立は表面化し、大国同士の威信を掛けた戦いは確実に世界を巻き込む核戦争へのカウントダウンを始めた。

演説を聞いたアメリカ国民はパニックになり、スーパーマーケットには食料や衣料品を求める人が殺到し、核シェルターの建設が相次いだ。
8日目 (10月23日)

当事国のキューバにとって海上封鎖は宣戦布告と受け止められた。カストロはラジオとテレビで国民に、
「祖国か、死か!我々に勝利を!」
と徹底交戦を呼びかけ、同時に軍に対して最高警戒態勢を発令し27万人に上る兵士が動員され臨戦体制に入った。

ソ連はアメリカの次の行動をけん制し、ソ連の意思が強固である事を示す為、ミサイル基地建設を急ぎ一刻も早く発射可能な状態にする必要があった。
キューバに派遣されたソ連軍は、本土から指示が無いまま核兵器を持って戦闘態勢に入った。
10日目 (10月25日)

キューバ危機発生以来、始めて米ソの高官が接触した。
ニューヨークで開かれた国連安全保障理事会の席上、アメリカのスチーブンソン国連大使は、ソ連のゾーリン国連大使に、アメリカの偵察機が撮影した写真を示し、キューバへの核の持込を認めるように迫った。
「核の存在を認めるかどうか答えて頂こう。通訳は必要ない。答えはイエスかノーかのどちらかだ!」
ゾーリンは、
「短い質問ではあるが、答える為には相当時間が掛かる。」
と語った。これに対してスチーブンソンは、
「地獄が凍りつくまであなたの答えをお待ちする。」
と答えた。

この日ケネディーはNATO軍戦闘機に対して核弾頭搭載を許可した。
カリブ海の緊張はベルリンも視野に入れた世界規模の対立に発展してゆく。

PM5:43、封鎖海域に1隻の貨物船マルキュラ号が侵入したことが確認された。封鎖開始後初めての緊張が走った。ケネディーは決断を迫られた。
もし停船命令を無視して貨物船が航行を続ければ、武力行使により強制的に停船させるしかない。この船にミサイルが積まれていた場合は外交上の解決は不可能となり、米ソの大規模な戦争はもはや避けられないだろう。
やがてケネディーは苦悩の末に臨検開始の命令を下した。
11日目 (10月26日)

AM7:00、マルキュラ号に対して停船命令が発せられた。この模様はラジオを通じて実況中継され全世界がその経過に注目した。やがて臨検は終了しマルキュラ号に輸送禁止貨物は積載されていない事が確認された。 緊張は安堵に変わった。

この日のExCOMは大荒れだった。タカ派が勢いを盛り返し再び空爆開始を迫った。

キューバでは洞窟に隠されていた核弾頭が基地に運び込まれた。
カストロはフルシチョフに核ミサイルの発射許可を求めたが拒否された。フルシチョフは「アメリカの挑発に乗るな」、と説得したが、連日のアメリカによる偵察飛行に苛立ちを強めるカストロは、27日以降キューバ上空に侵入するアメリカ偵察機の撃墜を許可した。

ケネディーと同様にフルシチョフも苦悩していた。
NATO軍機の核搭載を受けてワルシャワ条約軍も臨戦体制に入り、ソ連が保有する核ミサイル全ての発射態勢が整った。もはやアメリカとソ連の対立は世界を東西に二分する規模に発展し、世界大戦勃発の最悪のシナリオはますます現実に近づきつつある。
夜になってケネディーにフルシチョフの書簡が届いた。そこには、
「 平和は誰にとっても重要なことで、我々のような国家のリーダーにとって共通の望みです。このまま両国が武力衝突すれば、世界を巻き込む戦争に発展するでしょう。もしもアメリカがキューバに侵攻しない事を約束するならば我々はキューバへミサイルの輸送を中止します。」
と記されていた。
お互いが譲歩する事で事態の解決を目指すとゆう始めての交渉提案であり、事態は好転の兆しを見せた。
12日目 (10月27日)

AM9:00、モスクワの放送局は突然ケネディー宛に送った書簡を公開した。
「アメリカがキューバのミサイルの撤去を望むなら我々はトルコのミサイルの撤去を要求する。また、撤去が行われた際は、国連の管理化で査察を行う。」
その内容は、前日とは全く違うものでExCOMメンバーは一様に面食らった。おそらく前日送られたものはフルシチョフの私的なものだろう。今公開された書簡はソ連政府が介入していることは明らかだった。
ソ連は東側のリーダーとしてアメリカに無条件で従う事は避けなければならず、アメリカにも譲歩させたとゆう事実が欲しかったのだ。
ExCOMでは、ソ連の公式見解は第二書簡である事が確認されると共に、混乱するクレムリンと今後いかに交渉するかが検討された。

AM3:30、事態は急変した。
今朝飛び立ったU2偵察機がキューが上空で撃墜されたのだ。
ExCOMは愕然とした。キューバには上空2万メートルを飛行する飛行機を攻撃できる対空ミサイルはないと考えられていた。明らかにキューバ駐留のソ連軍の仕業だ。
外交交渉の進め方を論議していた会議は一変し、報復攻撃決断をケネディーに迫った。

この事件が伝えられクレムリンにも同様に衝撃が走った。
フルシチョフは激怒しキューバのソ連軍司令部に対して「二度とアメリカ偵察機に手を出すな!」と命令した。
ケネディーは即時の報復行動は否定したが、今後も偵察機に攻撃が加えられることがあれば即座に爆撃を行う事を決めた。

アメリカ、ソ連、キューバ全てが臨戦状態に入り最高レベルの戦闘待機態勢に移行し始めた。
兵士達は誰もが戦争と死を覚悟した。

戦争勃発はもはや不可避であると誰もが考え、ただじっと運命のその時を待っていた。しかし、ケネディーは違っていた。
ケネディーは最後の賭けに出た。最も信頼を寄せる官僚であり実の弟であるロバートにソ連との水面下での交渉を指示した。
PM7:27、 ロバートはドブルイニン在米ソ連大使を司法省に呼び大統領の意向を伝えた。

「会議の結論は報復攻撃開始でほぼ一致している。大統領が空爆強硬派を抑えられるのも時間の問題だ。このままではもはや戦争は避けられないだろう。
我々がキューバを攻撃すれば報復が次の報復を呼び、両国ともに多大な被害を出す事は明白である。我々は26日に届いたフルシチョフ首相の書簡を尊重し共感する。
大統領はトルコのミサイルに関して今回のキューバ危機の解決に障害となっているのならば十分に譲歩する用意がある。しかしこのことは、我々兄弟を含め数名の者しか知らない機密事項である。事態は急を要するので早急に返答を頂きたい。あなたにはアメリカの国家最高機密であるホワイトハウス大統領直通電話の番号をお教えする。」

ロバートが大統領直通電話の番号を伝えた事は早急な返答を得る為の最も有効な手段であったが、それにもまして国家最高機密を現職の政府高官が敵国ソ連に示した事は、ロバートの伝えた大統領の言葉が偽りではなく心から平和的解決を望んでいる事を強く示すには十分過ぎるほどの効果があった。
こうして クレムリンとフルシチョフに最後のバトンが渡された。

PM9:00、ドブルイニンは早速クレムリンに会談の内容を電報で送った。
13日目 (10月28日)

電報は当時暗号化などの作業を経て送られ、アメリカとソ連間で少なくとも8時間の時間を要した。ドブルイニンの電報がクレムリンに到着するのはおそらくAM10:00頃になるだろう。果たして間に合うか・・・。

そのころクレムリンにある情報が伝えられた。
AM9:00、ケネディーが緊急演説を行うとゆうのだ。また、この演説前に教会に礼拝に出かける事もわかった。アメリカではルーズベルト以来、宣戦布告する大統領は必ず直前に教会で祈りを捧げていた。

「ケネディーが戦争開始を決意した!」

クレムリンに緊張が走った。ついに決断の時がきた。交戦か撤退か・・・・。苦悩の末、やがてフルシチョフはキューバからの撤退を決意した。

時間が無い。この決定を通常の外交ルートで伝えてもケネディーの演説には間に合わない。それでは意味が無いのだ。フルシチョフはテレビ放送での発表を選んだ。ホワイトハウスがこの放送を見ることに賭けた。
開始はAM9:00。まさにケネディーの演説が放送される同時刻だった。

フルシチョフはテレビ演説で両国が平和の為に歩み寄る事を提案し、キューバにおける基地建設中止と兵器をソ連に持ち帰る事を宣言した。

東西のリーダーの平和への思いがキューバ危機を終結させた。
以来この10月28日の日曜日を人々は「黄金の日曜日」と呼んだ。



■ 誤報 ページのトップに戻る


後日明らかになった驚くべき事実がある。
10月28日運命の日、実はケネディーはテレビ演説の予定など無かったのだ。
この日の朝確かにケネディーは教会に行ったが、日曜日の朝に教会に足を運ぶことはアメリカ人にとって当然のことで、大統領に限ったことではなかった。
また、AM9:00からケネディーの演説がテレビ放送される予定も確かにあったが、これは海上封鎖を宣言した時の模様を再放送する予定だった。
つまり、フルシチョフに伝えられたケネディーの「宣戦布告演説」は、完全なる誤報だったのである。

しかし、この情報がフルシチョフの背中を押し歴史的決断をさせたことは間違いない事実である。
誤った情報に翻弄されたキューバ危機は、誤った情報により終結した。


■ ホットライン  


キューバ危機が終息した後、東西冷戦構造に歴史的な変化が起こる。
この事件はアメリカとソ連両国に対して大きな教訓を残した。誤った情報や疑念が思いもよらぬ方向に進み世界を核戦争寸前まで追い込んだ事は、両者の対話が重要である事を思い知らせた。
この教訓を生かし米ソ両国は「ホットライン協定」に調印し、ホワイトハウスとソ連首相官邸が「ホットライン」と呼ばれる直通電話でこの時初めて結ばれたのだった。

その後もケネディーはこの対話路線を尊重し軍拡や核実験に関する見直しを進め、東西冷戦は終結に向けて大きな一歩を踏み出した。


■ その後のキューバ  


ソ連のキューバ撤退を知らされたカストロは激怒した。なぜなら事前にカストロになんの説明や相談も無くフルシチョフが独断で決定したものだったからだ。
死を覚悟してまで貫こうとしたカストロやキューバ人の愛国心はいつしかアメリカとソ連の対立に利用され、屈辱的な結末を迎えた。カストロが怒るのも当然である。
不信感により孤立したキューバに対しては、米ソとの仲介役に国連が動いたが、カストロは全ての干渉と査察を拒否した。

結局、最終的に査察を受け入れたカストロは、アメリカに対してキューバへの不公平な外交姿勢の是正などの要望を提出したが全て無視され、現在もいまだに受け入れられていない。


■ 東西冷戦の再燃  


1963年11月22日、ケネディーはダラスで暗殺された。そして1964年10月11日、ソ連ではフルシチョフが失脚する。平和に向かって動き出したかに思われた米ソの関係は2人のリーダーを失った事で闇へと迷走を始めた。

両国は再び軍拡を図り、東西はキューバ危機以前のように睨み合うことになる。


”ダラスの悲劇〜大統領暗殺” につづく →


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