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第3章 :”革命家は死なず”
キューバを後にしたゲバラは、コンゴの反乱軍に加わり「アフリカ革命」に参加するが、思うような成果を挙げることなく惨敗した。 その後ボリビアに渡り、ラテンアメリカ解放の為の革命準備を始めた。 ボリビアはバリエントスが政権を掌握する軍事政権であったが、内部は分裂状態にありアメリカの軍事援助計画(MAP)によってかろうじて支えられていた。 この時、ゲバラの革命を支援する者がいた。盟友カストロである。 二人は訣別後も密かに連絡を取り合い、カストロはゲバラの作戦を全面支援する為、ボリビアにリカルドやターニャといった秘密工作員を送りこんだ。 ゲバラはサンタクルスを流れるリオ・グランデの支流沿いにゲリラ基地をつくり、同時に首都ラバスに地下組織ネットワークを構築した。やがて革命に向けた壮絶なゲリラ戦が始まる。
指揮官ゲバラは左足を負傷しながら応戦したが、抵抗は及ばず捕らえられた。 捕まる際、ゲバラは敵兵士に、 「俺はゲバラだ!生け捕りにした方がおまえ達の手柄になるぞ!」と言ったとゆう。 捕虜となってもゲバラは、革命家としてのプライドを決して失わなかった。彼は、無礼な言葉を吐いたボリビア軍士官を殴りつけた。 1967年10月9日、捕虜となった翌日、小学校の教室に連れて行かれたゲバラは、そこで銃殺された。 ゲバラの最期の様子やその後の遺体の処置について、ボリビア政府は公表しなかった為、「ゲバラは壁を背にして床に座り、既に息遣いも弱々しかった。死んだゲバラは目を見開き、微笑すら浮かんでいた。」 「銃殺の為やってきた士官が震えて撃てない様子を見て、『撃て、恐れるな!』 と叫んだ。」 「パイプを右手で振りながら、落ち着いた不敵な態度で射殺された。」 など、 いろいろと語られた。 ゲバラ支持者の中には、「生存説」を訴える者さえいた。
10月8日開催された第5回共産党大会の壇上には、マルクス、レーニンの肖像と共にゲバラの肖像が飾られた。 カストロ国家評議会議長は、しばしばゲバラの肖像を仰ぎ見て感慨深げだったとゆう。 カストロはこの日の演説で、 「あらゆる改革を進めるが、社会主義は放棄しない。」 「闘いの行方は我々次第なのだ。」 「人間は必ず死ぬ。しかし思想が存在する限り、革命家は生き続ける。」 「チェの思い出が、チェの精神が、この党大会を導いてくれる。」 「ソ連は崩壊したが、我々は絶対そうならない。」 「アメリカが世界一の強国になった。我々はどうするべきか。頭を下げるのか?いや、そんなことはできない。これまでキューバの独立と主権のために闘ってきた、ゲバラや多くの同志を裏切る事はしてはいけない。」 「国民の支持がなければ何も成し得ない事は、歴史が既に教えている。」 「祖国か死か! 社会主義か死か!」 この日の演説は6時間40分に渡ったたとゆう。 国内が不安定なそんな折、返還されたゲバラの遺骨は、キューバ市民に改革の頃の熱い思いを蘇らせ、愛国心を呼び戻した。 ゲバラは死して再び、キューバに多大な貢献をした。 ゲバラの遺骨は革命の同志フィデル・カストロの手で、キューバ中部サンタクララの霊廟に改めて埋葬された。 1997年10月17日首都ハバナで盛大な追悼式典が行われ、実に25万人の市民が集まってゲバラを偲んだ。 まさにカストロが言うように”革命家は死なず”である。
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