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DATE : 2001年11月10日


“GUERRILLERO HEROICO”
 Photo by Alberto Korda


CONTENTS
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BIOGRAPHY
EPISODE
BOOKS
ART

BIOGRAPHY
第1章 : カストロとの出会い 〜 キューバ革命
第2章 :キューバ革命後のゲバラ
第3章 :”革命家は死なず”

■■■ BIOGRAPHY ■■■

第3章 :”革命家は死なず”

7.再び戦場へ - ラテンアメリカ革命 トップ に戻る


キューバを後にしたゲバラは、コンゴの反乱軍に加わり「アフリカ革命」に参加するが、思うような成果を挙げることなく惨敗した。
その後ボリビアに渡り、ラテンアメリカ解放の為の革命準備を始めた。
ボリビアはバリエントスが政権を掌握する軍事政権であったが、内部は分裂状態にありアメリカの軍事援助計画(MAP)によってかろうじて支えられていた。

この時、ゲバラの革命を支援する者がいた。盟友カストロである。
二人は訣別後も密かに連絡を取り合い、カストロはゲバラの作戦を全面支援する為、ボリビアにリカルドやターニャといった秘密工作員を送りこんだ。

ゲバラはサンタクルスを流れるリオ・グランデの支流沿いにゲリラ基地をつくり、同時に首都ラバスに地下組織ネットワークを構築した。やがて革命に向けた壮絶なゲリラ戦が始まる。


8.ゲバラの最期 トップ に戻る



公開されたゲバラの遺体
1967年10月7日夜、ユロ渓谷で野営していたゲバラら17人のゲリラ兵士は、ボリビア政府軍レンジャー部隊6個小隊に包囲され攻撃をうけた。
指揮官ゲバラは左足を負傷しながら応戦したが、抵抗は及ばず捕らえられた。
捕まる際、ゲバラは敵兵士に、
「俺はゲバラだ!生け捕りにした方がおまえ達の手柄になるぞ!」と言ったとゆう。
捕虜となってもゲバラは、革命家としてのプライドを決して失わなかった。彼は、無礼な言葉を吐いたボリビア軍士官を殴りつけた。

1967年10月9日、捕虜となった翌日、小学校の教室に連れて行かれたゲバラは、そこで銃殺された。
ゲバラの最期の様子やその後の遺体の処置について、ボリビア政府は公表しなかった為、「ゲバラは壁を背にして床に座り、既に息遣いも弱々しかった。死んだゲバラは目を見開き、微笑すら浮かんでいた。」 「銃殺の為やってきた士官が震えて撃てない様子を見て、『撃て、恐れるな!』 と叫んだ。」 「パイプを右手で振りながら、落ち着いた不敵な態度で射殺された。」 など、 いろいろと語られた。
ゲバラ支持者の中には、「生存説」を訴える者さえいた。


9.30年後の帰還 トップ に戻る


1995年11月、ボリビアの退役軍人マリオ・バルガス元将軍は自らが知るゲバラの最期を米有力紙などに告白し、処刑後謎だったゲバラのその後が明らかになった。

遺体はボリビア南部、ラパスの東約500キロのバジェグランデに、他のゲ リラ兵5人と共に埋められた。また、埋葬の直前に指紋照合のために両手を切断したとゆう。
更に彼が処刑執行官から聞いた話として、ゲバラの最後の言葉が、「撃て!、おくびょう者め!」だったと語った。

これを受けて、ボリビア国会人権委員会のフアン・デル・グラナド委員長は、「国家をあげて、遺体発掘を始める。」と語り、発掘に着手した。
1997年7月、キューバとアルゼンチンの合同調査団によって発見されたゲバラの遺骨は、ゲバラが”母なる国”といって愛したキューバに持ち帰られて、30年ぶりの無言の帰還を果たした。

帰国後一般に公開され、展示された遺骨を前にキューバ市民は、「生涯を世界平和に捧げた英雄」 「遺骨の入った木箱には偉大な歴史が詰まっている」 「純粋で無欲なロマンチスト」 「カストロは好き(Like)な人間、チェは愛(Love)すべき人間だ」 と口々に語り、改めてその死を悲しんだとゆう。

この頃のキューバは、経済的に大きく依存していた東欧・ソ連社会主義圏が崩壊し始め、革命30周年を前にカストロ態勢存亡の危機を迎えていた。
キューバ政府は市場経済の部分的導入、共産党一党体制内複数発想主義の原理に基づく民主化などの改革を行い、国家立て直しを図っていた。

遺体発掘現場の様子


キューバで一般公開
された遺骨



10月8日開催された第5回共産党大会の壇上には、マルクス、レーニンの肖像と共にゲバラの肖像が飾られた。
カストロ国家評議会議長は、しばしばゲバラの肖像を仰ぎ見て感慨深げだったとゆう。

カストロはこの日の演説で、
「あらゆる改革を進めるが、社会主義は放棄しない。」
「闘いの行方は我々次第なのだ。」  
「人間は必ず死ぬ。しかし思想が存在する限り、革命家は生き続ける。」  
「チェの思い出が、チェの精神が、この党大会を導いてくれる。」  
「ソ連は崩壊したが、我々は絶対そうならない。」
「アメリカが世界一の強国になった。我々はどうするべきか。頭を下げるのか?いや、そんなことはできない。これまでキューバの独立と主権のために闘ってきた、ゲバラや多くの同志を裏切る事はしてはいけない。」
「国民の支持がなければ何も成し得ない事は、歴史が既に教えている。」
「祖国か死か! 社会主義か死か!」
この日の演説は6時間40分に渡ったたとゆう。

国内が不安定なそんな折、返還されたゲバラの遺骨は、キューバ市民に改革の頃の熱い思いを蘇らせ、愛国心を呼び戻した。
ゲバラは死して再び、キューバに多大な貢献をした。

ゲバラの遺骨は革命の同志フィデル・カストロの手で、キューバ中部サンタクララの霊廟に改めて埋葬された。
1997年10月17日首都ハバナで盛大な追悼式典が行われ、実に25万人の市民が集まってゲバラを偲んだ。
まさにカストロが言うように”革命家は死なず”である。



"EPISODE" につづく →

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