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DATE : 2001年11月10日


“GUERRILLERO HEROICO”
 Photo by Alberto Korda


CONTENTS
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BIOGRAPHY
EPISODE
BOOKS
ART

BIOGRAPHY
第1章 : カストロとの出会い 〜 キューバ革命
第2章 :キューバ革命後のゲバラ
第3章 :”革命家は死なず”

■■■ BIOGRAPHY ■■■

第1章 : カストロとの出会い 〜 キューバ革命

1.医学生から革命戦士へ トップ に戻る


1928年6月28日、アルゼンチンのロザリオ市に生まれる。
裕福な中産階級に生まれ、なに不自由の無い生活を送り、成績も優秀だったゲバラだが、幼い頃から持病のぜんそくに悩まされた。彼が初めて喘息の発作を起こしたのは二歳の時だった。

少年時代のゲバラは、ぜんそくにもかかわらずラグビー好きのとても活発な少年だった。また、中学・高校生時代からは読書に熱中し、生涯を通じて多くの本を読みあさったとゆう。中でもボードレールがお気に入りだった。
成績は非常に優秀で数学と考古学が得意だったが、心理学や工学にも関心をもっていた。その知識の広さは学生の仲間内でも群を抜いていたとゆう。
祖父もぜんそくの持病があり、また母親がガンに冒され苦しむ姿を見て育ったゲバラは、1947年ブエノスアイレス医科大に進学し医師を志した。
1951年、大学を1年間休学し友人の医学生グラナドスと共に、バイクに跨りラテンアメリカ諸国を訪ねる放浪の旅に出た。ゲバラはこの旅で、各地で貧困に喘ぐ人々やろくな設備も無い診療所を見て、ラテンアメリカの現実と世の中の矛盾に直面した。中でもハンセン氏病診療所の悲惨さは医学を志す彼には衝撃的な光景だった。
この旅がゲバラのその後の人生に大きな影響を与えた事はゆうまでもない。
大学に戻ったゲバラは、「アレルギー疾患について」と題した論文を発表し1953年に医学博士となった。
医者となったゲバラだが、当時のアルゼンチンはペロンの独裁政権であり、医師は強制的に軍医として徴兵されていた。

旅を共にした友人グラナドスがベネズエラのハンセン氏病療養所で働いていたことから、ゲバラも半ば亡命するがごとくアルゼンチンを脱出し、ベネズエラを目指した。
ラテンアメリカ諸国を渡り歩くゲバラは多くの亡命者と出会った。目的地を目前にしたエクアドルで出会ったリカルド・ローホは、ペロン政権に抵抗する市民連合で活動する若い弁護士だった。
当時、政治にさほど関心の無かったゲバラだが、根っからの冒険好きと旺盛な好奇心からローホーに誘われるままベネズエラ行の予定を変更しグアテマラに向かった。
彼の運命を変えた瞬間だった。



グアテマラではアルベンス大統領による農地改革が進もうとしていたが、アメリカが介入してこれを妨害した。アルベンスはアメリカを非難するが、大国の前にはあまりにも無力だった。やがてアルベンスは失脚し、グアテマラはアメリカの思うがままの状態となる。
ゲバラは大国が小国を抑圧して支配してゆく様子をまのあたりにして怒りを覚えた。そして、このままでは世界中の無力な国々が大国に食い潰されてしまう。
我々はこの不平等な世界を変えるため、戦わなくてはならない。・・・彼の中で革命の闘志に火がついた。


2.運命の出会い トップ に戻る



カストロ(左)とゲバラ
グアテマラでゲバラは、ペルーから亡命してきた女革命闘士イルダ・ガルディアと出会い恋に落ちた。
彼女がメキシコに渡るとゲバラもその後を追ってメキシコに密入国し、1954年に2人は結婚する。彼女はゲバラに革命家になるよう薦め、祖国での革命を画策するキューバからの亡命者たちと彼を引き合わせた。

この亡命キューバ人のリーダーが、あのフィデル・カストロである。
1955年、ゲバラ27歳、カストロ29歳。2人の運命の出会いだった。

1953年、ハバナ大学法学部出身の弁護士だったカストロは、弟のラウルとともに学生を率いてバチスタ政権に反旗を掲げ軍兵舎を襲撃して逮捕された。 一旦は投獄されたが恩赦により釈放されメキシコに亡命していた。

メキシコではアジトで生活しながら、他の亡命キューバ人と共に祖国での革命を計画していた。
ゲバラは革命自体よりも、雄弁なカストロの人柄に強く惹かれるものがあったとゆう。やがてゲバラは、この「キューバ革命」に医師として参加する事を決めた。


3.キューバ革命 トップ に戻る



1959年5月、
キューバ革命後のゲバラ
1956年2月2日、82名のキューバ革命戦士を乗せたおんぼろヨット、グランマ号がメキシコから出航した。
キューバ東部の海岸に上陸した彼らは、事前に革命の動きを察知していたバチスタ政府軍に出迎えられ、激しい銃撃戦の末に多くの仲間を失った。
かろうじて残った12人の革命戦士たちは、決して諦めることはなかった。シエラ・マエストラの山中で次の攻撃の準備を整え、1959年1月、ついにバチスタ政権を倒し「キューバ革命」を成功させた。

ゲバラは、この革命でゲリラ戦略を学び、経験した。
また、中産階級出身で貧困を知らない彼は、拠点となったシエラ・マエストラの山中でキューバの農民や労働者と生活を共にし、彼らの悲惨な生活を身をもって知った。
革命後、大勢の農民を前にゲバラは、「私の体はもう農民です。クーラーのある部屋では生きていけない。勝利は農民のものなのです。」 と語った。

革命の成功に貢献し、勇敢に戦ったゲバラは「キューバ革命の英雄」となり、キューバ国籍を得た。
革命後も1959年にキューバ国立銀行総裁に就任、その後も1961年工業相、1962年キューバ統一革命組織幹部会メンバーなどの要職を歴任し、経済と外交で重要な役割を果たした。このときゲバラは、国家とゆうものの成り立ちと政治を学んだ。



"BIOGRAPHY"第2章 につづく →

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